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コペルニクス (作曲家) : ミニ英和和英辞書
コペルニクス (作曲家)[いえ, け]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 
作曲 : [さっきょく]
  1. (n,vs) composition 2. setting (of music) 
作曲家 : [さっきょくか]
 (n) composer
: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

コペルニクス (作曲家) : ウィキペディア日本語版
コペルニクス (作曲家)[いえ, け]
コペルニクスは、日本作曲家音楽プロデューサー3人による音楽ユニット。東京都在住の3人組で蟠龍寺スタジオとヴェンタインレコードを運営している。
== 略歴 ==

*2000年、横浜シェラトンホテルにて「デジタルUFO写真展」((株)サンリオ主催)を開催したのをきっかけに結成。もともと音楽仲間としてつきあいのあった3人が、写真展でたくさんの子供たちから手紙を貰ったのがきっかけで「何かしなくては」とCDを制作してリリースした。その時に宇宙人側から見た地球人としてふさわしい名前を、とコペルニクスという名前になった。もともとはUFOを発見するのが目的だった。
メンバーは蟠龍寺スタジオを経営するマルチプレイヤーの吉田哲(コペ)、(株)秦スタジオにてFM局ラジオ番組ディレクターをつとめてきたギターヴォーカルの木村敦(ルニ)、(株)ポニーキャニオンよりデビューしたシンガーソングライターの児島由美(クス)の3人からなり、いずれも作詞作曲演奏を務める。吉田と児島は大学時代にポプコンの音楽サークルで先輩後輩の関係で出逢っており、木村は児島のDJ番組「児島由美の一口ジョッキー」の担当ディレクターを務めたことが発端で3人が出逢った〔(株)宝島社刊「タレントまであと1歩」著:児島由美(JICC出版局, ISBN 4-88063-625-8) 出典〕。
デジタルUFO写真展は1999年より継続してパソコン上で加工した嘘のUFO写真をネット上で発表していたところ、ネット上のコンタクトでお声がかかって展覧会が開催された形となった。その後にこの会はNTT-itの協賛を得てNTTのホームページから広く知れ渡ることとなったため、最初は加工された作品を公募していたにすぎなかったがやがて本物(?)のUFO写真が全国から集まり出し、最終的には「私が宇宙人だ」という人まで押しかけたためやむなく中止された。
その後3人は自らが長くプロの音楽活動をしてきたことを振り返って、自分たちが体験した中でアマチュアとプロの橋渡しになれることがあるだろうというコンセプトの元、自分たちの経験を生かしてインデペンデントな活動をする若手の音楽家たちのプロデュースを開始。しかし当初その知名度は低かったために活動の幅が広がらなかった。特に音楽家の交遊は広く深かったに関わらず、プロデュースをつける体制が日本には浸透しておらずなかなか音楽家に信じてもらえなかったのである〔(株)四季社刊「寺族春秋」2010年〕。
そんな折、古くから共に音楽制作をしてきた新井満が彼らに自己の音楽についてのプロデュースを依頼、作曲した歌を私家盤で出すようになった。その中で2001年に制作された曲が2006年からの「千の風になって」(秋川雅史)の100万枚ヒットへつながり、本家CDアルバム「千の風になって」(新井満)がコペルニクスのサウンドプロデュース及び演奏によりリリースされた。これをきっかけにコペルニクスの名前が内外共に広く浸透するところとなり、全く知らない人からもプロデュースを依頼されるようになった〔講談社刊「千の風になって」新井満:著 出典〕。
2006年にヤマハで旧知の福島邦子のライヴをプロデュースした時、訪れたNHKチーフプロデューサー(現・NHK G-Media)である小島伸夫と気が合って、その後NHK-BS番組の音楽を担当するようになった。番組はいずれも企画色の強い旅番組であり旅の情緒とあいまって番組の中で音楽が大きな比重を占めたため、季節ごとにテーマ曲を変えるコンセプトが重視された。また旅のはじまりと終わりに番組視聴者に報いるためにコペルニクスが音楽仲間に声をかけて生演奏することも度々あった。
同時に映画音楽(劇伴)については個々の活動を基本としていたが、2009年東映(株)人権啓発アニメ「ボクとガク〜あの夏の物語」(上田真一郎監督/山上梨香脚本)にてはじめてコペルニクスそろいぶみで映画の音楽制作をする機会を得た。またコペルニクス名では渋谷「ユーロスペース」で上映された2010年劇場版映画「鉄人28号」(押井守監督/南果歩主演/横山光輝原作)音楽制作の作詞でクレジットを連ねている。
コペルニクスの男性2人は音楽仲間のビアンコ洋平を招聘して「パエリア兄弟」としても活動している。児島単独の場合は邦楽名(生田流名取雅号)の「雅月」として活動することがあるがいずれも必ず3人共に演奏している。しかしコペルニクスであってもNHKの鉄道番組に出た時は番組スタッフの要請でThe C-52’s名義で出演している。これは幻の蒸気機関車C52と、敬愛するアメリカのテクノポックグループB-52'sのもじりである。
2011年にはNHK番組の映像スタッフからの要請を受け、自らのプロデュースするシンガーたちに声をかけて復興支援ソング「あした日和」を発表した。また川崎けい子監督のアフガン映画へのオマージュ「悲しみのシアター」を制作、映画と共に上映。2012年、かつて吉田がピアノで参加していた元ふきのとう山木康世と再会、新しい2枚のCD制作と共にコンサートツアーのサポートを行なった。2015年には11月14日に訪れた石川県千里浜なぎさドライブウェイにて、UFOに遭遇したらしいとYouTube動画にて発言した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コペルニクス (作曲家)」の詳細全文を読む




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